うつ病についての記録

うつ病患者が私見を述べます。色々間違うかもです。参考にしていただけると幸いです。

新卒3ヶ月の俺に、本当に必要だったもの

読みました。
新卒1,2年目に自己投資してQoL上がったもの - mizchi's blog
新卒3ヶ月の間で買ってよかったもの - yulily100's blog
ssig33.com - 旅と在宅勤務

0. オフィスから徒歩圏内にあるセーフハウス

新卒後4年間は寮とは名ばかりのワンルームに住めたので通勤地獄と深夜タクシーを堪能し過労と鬱病が加速した。お金に余裕があるならオフィス近くにセーフハウス(風呂トイレ共同のボロアパートでもOK)を用意すべきだった。
社会人10年を超えた今、色々と鍛錬されてしまったのでそんな感じの所が本宅になり、蓄積された数多の雑貨は処分し、数千冊の本は専門業者に預けたので存在を忘れつつある。

1. バランスのとれた飯

店屋物はコンビニであれ牛丼であれファーストフードであれ、俺の体にはあわないことを学んだ。2-3日であれば問題ないが、それ以上摂取し続けると精神に異常を来たす。
セブンミールとかは問題ないので、休日はそちらを利用している。
また、社員寮が一般に開放された食事付き物件というものがあり、平日はそちらを利用している。要するに、寮住まい。

そうそう、洗濯機。寮なので、洗濯機はコインランドリー方式。コスパは悪いが、乾燥機が使えるのはありがたい。天気を気にせず洗濯できると計画的に生活できるのだ。

自炊?できるようにはなったのだが、体調悪化すると途端に内容が劣化しさらに体調が悪化するネガティブスパイラルに陥るのであれは大変危険との結論を得、今はやっていない。

2. 敷布団2枚重ね

ベッドが必要なくなる。
ベッドは引越しの時に捨てる運命にある。
パイプのロフトベッドは一度組んだらフレームが歪むので、二度目はない。
足付きマットレスは、数年で中身がヘタる。そのまま使い続けると腰を痛める。

まああったらあったで便利ですけどね、ベッド。

3. 歯間ブラシ

最初は血が出た。これは歯肉炎をおこしているからだそうで、歯間ブラシで磨き続けると血が出なくなってきた。自分の歯間にあったサイズは病院で歯科衛生士さんに教えてもらえた。

4. PC用の仕事メガネ

度を落とした近距離用のメガネを使うようになり、眼精疲労がかなり軽減した。

5. 病気やケガ

色々と学ぶことが多い。

6. 仕事で困ったことは上司に伝える

仕事を抱えこまないとは、そういうことだと思う。

7. 家族

何かあったとき助けてくれた。

8. 親戚・恩人

何かあったとき助けてくれた。
季節のご挨拶は忘れずにしたい。

仕事のことを忘れて休むには

(2009/8ごろ。休職開始当初。)


ワーカーホリック(仕事中毒)でしたから、休職しても仕事のことが頭から離れませんでした。
中毒なので、仕事ができないと禁断症状が出てきます。具体的には、とてもイライラします。
そんな状態ではゆっくりと休むことができません。

どうにかして仕事のことを忘れなければならないのですが、それができません。
あまりにも仕事に全力投球してしまったがために、仕事と私生活との区別がつけられない。それどころか、仕事をしていないと落ち着かない。仕事依存症ともいえそうな状況でした。

どういった方法で仕事と自分とを切り離せばよいのか。

正解(最良手)は調べておりません。
当時の私はどうしたかというと、仕事と会社と人事を憎みました。…どう考えても良い手ではありません。
薬の副作用か、病気の症状なのかもしれませんが、経験したことのない(目の前が真っ白になるほどの)怒りの衝動にかられ、会社(人事担当)への愚痴をネット上にまき散らしました。ただそれは、人事担当者の責任ではないこと(彼らはあくまでも規則に従って対応しているにすぎないこと)を、頭の片隅で理解しておりましたので、(今は亡きライブドアの簡易ブログサービスである) nowa に投稿しておりました。

今では会社や人事を憎むことはありませんが、それでも過去を思い出したとき鬱々とした気分になることがあります。
自分が今おかれた状況に陥ることになった、仕事上でのエピソードがいくつかあるのですが、そのとき自分はどうするべきだったのかをいちいち考え、自分がすべきだったことをしていなかったな、と反省するのです。
自分がするべきだったこととは

1. 自分の力の限界を見極め
2. 仕事が自分の手には余るようであれば自分で抱え込まずに
3-1. 関係者にそのことを伝えて協力をあおぐ
3-2. 上司・同僚に相談して仕事を分担してもらったり、代わってもらったりする

などです。
当時の自分は、そういった手順を思い浮かべることができませんでした。すべてを自分で抱え込んでいました。

反省するのと同時に「上司は自分の状況を見て、よくない状態だとわかっていたはずなのに、なぜ止めてくれなかったのか」と上司を責める気持ちも湧いてきます。きっと、私が気が付かなかっただけで助けようとしてくれていたのだと、今になってみれば思うのですが。
体調が悪かったり、一人きりでいる休日などは、そういった複数の感情がとめどもなくあふれてきて私を苛みます。……あれ?俺治ってなくね?

休職中の過ごし方

私は、うつ病との診断で2回休職しております。
1回目は自律神経失調症反応性低血糖症の診断でした。でも、どうみてもうつ病でした。
2回目は、もともと腰痛での休職でした。3ヶ月たっても改善せず整形外科の主治医が診断書を書くことに否定的だったため、心療内科うつ病の診断書をもらい、うつ病での休職に変更しました。
1回目は4ヶ月と比較的短期、2回目は復職トレーニング期間も含めて1年半ほど。
その間、どのように過ごしていたか、「カテゴリ:休職中の過ごし方」に少しまとめておきたいと思います。
(もちろん、私の体験が唯一の正解なわけがありません。人によって異なります。)

回復は匍匐前進(ほふくぜんしん)のように

 うつ病(に限った話でもないですが)、回復はほんとうにゆっくりとしたものだと思います。なかなかよくなりません。よくなった、回復した!さあ復職だ!と思っても、治療を根気強く続けないといけません。焦りがあると、治っていないのに復職して、また悪くなって休職して…を繰り返します。
 私はうつ病で休職してずっと埼玉の自宅で静養していたのですが、やがて動けなくなりました。心配した母親が九州から上京してくれて、3週間ほど面倒をみてくれました。おかげで動けるようになったのですが、少しでも調子を崩すとすぐにまた動けなくなりました。一人暮らしでの静養は無理だと判断して、実家での静養に切り替えました。
 実家静養に切り替えたおかげで食事の心配がなくなり、2日おきに2時間ほどだけではありますが本を読む余裕ができ、市民プールで歩行訓練するような余裕もできました。
 それでもやはりゆっくりとしか回復せず、結局9ヶ月間ほど実家のお世話になりました。
 その実家静養の間に我が家の菩提寺で聞いた法話が療養生活の支えとなりました。その法話が本になっているので引用します。

動かないはずの左手が動いた日


<略>
 若いときに生き死にをかけて患った腎臓病の影響ですかね。血圧は常に上は二百五十、下は百越え、血糖値は五百の状態でありながら、下町まで買い物に出かけ、帰りは長い上り坂を両手に荷物を抱え、百三十段もある石段を上って帰って来ます。
「ばあちゃん、タクシーを使ったらどうね。きつかろうもん」
「あのね。お寺は大変なんだよ。お父さんに十円でも、百円でも残してあげないとね」
 そうした中、ばあ様が六十一歳のとき、冷蔵庫の前で突然倒れました。すぐ病院に運びましたが、ドクターの診断は脳内出血、おそらく一生左半身は麻痺したままと言われました。
 ところが、十三ヶ月の入院ののちに退院したばあ様、帰って来た次の日から本堂内でお百度参りを始めたんですよ。お百度といっても立って歩くわけではありません。動かすことのできる右半身を使って、一周一時間をかけて這ってまわるんです。
 私は時折ばあ様の後ろについて声をかけていたんですが、ばあ様の口をついて出てくる言葉はいつも同じでした。
「ありがとうございます。もったいのうございます」
 お百度を始めて三ヶ月、六ヶ月、一年となんの不平不満も言わずに、ただ淡々と勤めていましたね。
 月日が流れるにつれて、絶対に動かんと言われた体が、徐々にですが、はいはいができるようになり、ぶかっこうだけど歩けるようになり、ゼロだった握力も5まで回復してきました。ドクターはただただ驚くばかりでしたね。
 しかしそんなばあ様の回復を見て、檀家さんたちは口々に言っていました。
「さすが、お寺のお母さん。仏さんのご加護はすごいですね」
 私は正直この言葉には立腹していました。まあ十歳の子供であったこともありますがね。たしかに仏さんのご加護がなかったとは言いません。しかしね。「あなたたちは手や足を引きずって、血だらけになってお百度をしたばあ様の姿を見ていないでしょう」と言ってやりたかったですよ。その当時はですよ。
 人生を悲観して布団の上でふて寝していたら、動ける体にはなっとらんですよね。ばあ様がお百度をしていたのは、誰も参拝しない夜になってからだから、檀家さんたちが知らなかったのは無理もないですけど。
 なんでもかんでも仏さんに頼めば、よくなるってもんでもないですよね。祈願をお受けする坊主が、言っちゃいけない言葉ですかな。
「這えば立て、立てば歩めの親心」という言葉があります。しかし、どれだけ気がはやっても、赤ちゃんの立ち上がる努力を、親は黙って見ておかねばなりません。
 なのに一部の親は、五歳の子供にアメ玉やって育てるように、三十歳になった我が子にもアメ玉を与える親がおるようですね。そしてあげくのはてにお寺に来て、我が子の愚痴をこぼされておりますわ。いやいや、「おぎゃ」と生まれて明日三十歳になる子供はおらんですからね。誰がそう育てたのという話ですな。


 お釈迦さんはおっしゃいました。
「人は生まれを問うことならず、育ちを問いなさい」
 ばあ様の生きざまが私達に与えた影響は非常に大きいものがあります。
 その後も左半身不自由のまま、八十二歳での一完まで、自分にできる仕事だけを黙々とこなしてこの世を去っていきました。いや、じい様に連れて行かれました。この、連れて行かれた話は後ほど。笑いまっせ。
 私も、ばあ様に恥じない人生を勤めないとね。


<山本英照「重いけど生きられる 小さなお寺の法話集」イースト・プレス 2012年3月20日第1刷発行 16-19p.>
※強調はブログ主による

重いけど生きられる ~小さなお寺の法話集~

重いけど生きられる ~小さなお寺の法話集~

 私は、治療がつらくなったら、この話を思い出すことにしています。そして、堂内を這ってまわるように、少しずつ少しずつ進む自分をイメージしています。
 体調を崩して、仕事や私生活がうまくいかないときも同じように、匍匐前進(ほふくぜんしん)をイメージして、ひとつひとつゆっくりと作業をすすめていくことにしております。発症前のように、勢いだけ、長時間残業だけで、仕事を処理することはもうできません。できないことを悔やんでいてもはじまりません。ゆっくりとでもいいから、できることをやっていくしかありません。

信仰について

 法話を引用したので、信仰についても書いておきたいと思います。凡夫の私が、誤解のないように言葉で説明するのはなかなか難しいのですが書いてみます。

 信仰というのは、神仏を敬い、神仏の教えを守り、神仏の願うような生き方をすることなのだと思います。
 つらいとき、苦しいとき、すべてを放り出して逃げ出したくなります。神仏の教えというのは、そんなときに重石のように効いてきて、ちょっと待てよ、とストップをかけてくれます。
 そして信仰は、治療なりリハビリなりを続ける力をくれます。あたかも金剛杖のように、支えてくれます。
 神仏が自分の病を直接癒してくれたり、かわりにリハビリをしてくれるわけがありません。なので、病や傷を治そう、少しでもよくしようと努力するのは自分自身です。
 もう少し詳しく書きますと、神仏に病気平癒・健康祈願をしたなら、例えば暴飲暴食をして病の種を自分で作り出すことはできません。治療・リハビリを怠けることはできません。怠けたら神仏に対して嘘をつくことになります。日々の勤行でそのことを思い出します。病気が治ったら御礼報謝です。支えていただいたことに感謝します。
 まとめます。歩くのは自分です。支えてくださるのが神仏で、これが「ご加護」です。結果がでればこれが「ご利益」ですが、必ずしも自分の思ったとおりの結果にはなりません。神仏の思う結果になります。
 自分の願いとは違う結果なのですが、後々なぜか自分が願ったのよりもよい展開になったりします。なんでですかね。

本について、補足と注意事項

 上で取り上げた本を書かれたご住職のお寺のホームページができております。
 http://www13.plala.or.jp/kongouji/
 毎月更新の法話ものせています。バックナンバーも読めます。
 http://www13.plala.or.jp/kongouji/houwa.html

追記

本の続編が出版されております。

あなたがいるから生きられる 小さなお寺の法話集

あなたがいるから生きられる 小さなお寺の法話集

twitterではミニ法話が読めます。


法話について

 このホームページの法話を読んでおりますと、大阪市長の橋下さんをほめているような記述があります。これは「時代を見て法を説け」という、このお寺の第一世住職の教えを守り、言っているにすぎません。つまり、その時代時代の人が受け入れやすいように、時代にあわせて仏法を説け、ということです。ここの住職が橋下さんをほめているから、私は橋下さんを応援しよう!などと考えてはいけません。このように法話というのは一筋縄ではいきません。表面的に字面を追っているだけでは真意を理解できません。読んだあと、自分で色々と考えなければいけません。上で取り上げた本の法話でも同じです。

宗派について

 宗派は真言宗新宗教中山身語正宗となります。調べていただければわかりますが、この中山身語正宗の別の教会がある事件をおこしております。見えた聞こえたが好きな人が多くいる宗団であることは否定できません。しかし、宗祖も本山も、見えた聞こえたの信仰はだめだよ、といっておられます。著者の山本住職も、宗のなかにあって、そういった信仰を批判し、変えていこうとしておられます。この本の中でも「ご先祖を悪霊呼ばわりするな」と批判しています。全国の拝み屋さんからうらまれるかな、と言いながら。

カルト宗教について

 もし「お参りしなかったら祟られるぞ!」なんていうことを言う人がいたら、その人とは距離をおいたほうがよいと思います。脅してはじめるのは信仰とは言えないでしょう。それに「組織からの離脱について極度の恐怖心を与える」のはカルトの特徴のひとつです。宗教家の話をきくときの指針のひとつにしていただければいいと思います。「この人は、人の恐怖心を利用しようとしていないか」と。
 宗教団体への加入も脱退も、自由なものでなければなりません。信仰を持つ・持たないも、自由なのです。

部下のうつ病を見抜くには

まとめ

  • 残業が以前よりも増えていないか?その割に成果が以前と変わっていないのではないか?
  • 本人が関心のない仕事(できれば避けたいと感じている仕事)が、後回しか 放置されていないか? ルーチンワークであるにもかかわらず、滞っていないか?

管理職の方へ

部下の、あるいは自分自身がうつ病であることを見抜くにはどうすればいいのでしょうか。
うつ病が重症になってからの対応方法についてはわりとよくみかけるのですが、ごく初期の症状についてはあまり言及されていないように感じます。
うつ病のごく初期に適切な対応がとられていれば重症にまで至ることは防げると思われます。患者自身がうつ病であることに気付いていない、あるいは気付こうとしない(認めようとしない)状況でも、周囲の人間が「これはひょっとしてうつ病かな」と気付ければ、あるいは「適切な対応」がごく初期にとれるかもしれません。軽症であれば、投薬治療は必要ないとする意見もあります。症状が軽いうちに対応できれば、本人の負担も周囲の、そして社会の負担も軽くてすみます。管理職の方には、できるだけ早い段階での対応をお願いしたいと考えます。

うつ病になると認知機能が低下します。これにより生産性も低下します。

認知機能が低下する、と聞くと「認知症」つまり痴呆…「呆ける」というのを思い出します。実際、高齢者のうつ病が認知症と誤診される事例はよくあることだそうです。
余談ですが、認知機能が低下する病気としては、認知症、うつ病のほかに統合失調症もあります。(他にもあるかもしれませんが、私は知りません…。)認知症、うつ病統合失調症のそれぞれの「認知機能障害」について調べてみたことがあるのですが、いずれも「認知機能障害」としかいいようがないのですが、表れかたがずいぶん違うなあと感じました。おそらく、認知機能障害以外の症状が関係していると思うのですが、うつ病を認知症と誤診する医師もいるのですから、臨床の現場で見分けるのは難しいのだと思います。

認知機能とは…「ものごとを記憶する、考える、判断する、人とコミュニケーションをとるなど、私たちが日常生活を過ごすために欠かせない脳の働きのこと」(メンタルナビ-ヤンセンファーマ)です。これが障害されるのですから、仕事も「今までできていたことができなくなる」ため、生産性も低下します。生産性が低下しているのに、患者本人はこれを補おうとするのですから、畢竟「残業が増えます」。

(8)思考力や集中力の減退または決断困難・思考(思路)/ 制止・抑制:内的制止;思考・認知面の障害

尋ねるポイント
「以前と比較して頭の回転が遅くなったように感じませんか?」
「なかなか物事に集中できなくなっているということがありますか?」
「普段より頭が働かず,考えが遅くなったり,考えがまとまらなくなったりしていますか?」
「普段なら問題なく決められることが, くよくよと思い悩み,なかなか決められなくなっていますか?」
「新聞など,ただ字面を追っているだけで,内容が理解できないことはないですか?」

うつ病になると思考力や集中力が低下し,着想も乏しく,あれこれ考えては,堂々巡りし,迷って決められず,理解力の低下や記銘力障害も伴うことによって,仕事や勉学が進まなくなります。さらには判断力や決断力も鈍り,これらが著名であれば,診断や症状評価が困難になる場合もありますので,周囲からの客観的な情報が得られることが望ましいと考えます。うつ病においては,一般的な症状でありながら意外に気づきにくいのは「頭の働きの低下」であり,以前より仕事の能率が悪く,判断に時間がかかり,今までにないミスが多くなった結果,責任感の強い人ほど病気からくるものとは思いもよらず,勘違いして自分を責めてしまいます。そして,ぎりぎりまで元気なふりをして,突然,自殺を考えてしまうわけです。従って,仕事量が変わらないのに残業が増えてきたら,まず,うつ状態を考えなくてはいけませんし,残業が多いから仕事量が増えて,うつ病になったのではなく,うつ病になったから作業効率が低下して残業が多くなったという発想が労働者を扱う管理者や企業側には必要なのです。高齢者であれば主に注意集中や判断,思考,記憶の低下を自覚するので「最近,忘れっぽく,自分がボケてきたな?」と訴えた結果,実際に周囲が認知症の様(仮性認知症)に捉え,一般科医での受診でうつ病が認知症と間違えられることもあります。福田正人先生らの研究グループによる光トポグラフィー検査(近赤外線スペクトロスコピィ:NIRS)に代表される近年の脳機能画像研究からは,うつ病における前頭葉皮質の賦活反応性の低下(男性と比較すると女性や壮年で低下が目立つ)が認められるとの報告が注目されており,うつ病において脳血流や脳代謝が,特に前頭葉で低下していることがわかってきています。

うつ病の認知機能低下に関する主な特徴>
(1)集中困難
(2)否定的な考え
(3)記憶力低下
(4)認知力低下(Widlocher,1982)
(5)自殺念慮
(6)妄想的思考
(7)過剰な反すう
(8)問題解決能低下(Harley et al,2006)
(9)歪んだ自己概念
(10)精神運動遅延
(11)視空間学習能力・記憶力,実行(遂行)機能,注意力の低下(Porter et al,2003)
(12)反射欠如
(13)理解力低下
(14)悲観的認識
(15)間違った意思決定

橋本謙二,Ian Hindmaach,笠井清登:うつ病・不安障害治療とシグマ受容体;臨床精神薬理Vol.11,1407-1417,No.7 Jul.2008,星和書店より掲載・追加

城東やすらぎグループ ブログ : 大うつ病性障害の診断について3
※ 強調はブログ主による

やっかいなのは、今まで長時間労働をこなしてきていた人…つまり、もともと残業の多い人の場合はどうか、ということです。
これは個人的な見解なのですが、うつ病になっていると、本業とはあまり関係のない事務仕事…交通費精算、諸経費精算、小額資産購入申請、有休申請、週報等の提出…e.t.c.…いわゆるルーチンワークとよばれる仕事が滞りがち(後回しにするか、やらないまま放置する)ことが増えるのではないか、と感じています。本業を捌くのに時間がかかるようになった結果、これらの業務をやる余裕がなくなるのか、こまごまとした仕事がおっくうになるのか…。
はっきりしているのは、自分が関心をもてない仕事、重要とは感じていない仕事をやるのがとても苦痛だということです。嫌だなー、と思っていることが、何倍にも増幅されてしまうのもうつ病です

まとめます。

  • 残業が以前よりも増えていないか?その割に成果が以前と変わっていないのではないか?
  • 本人が関心のない仕事(できれば避けたいと感じている仕事)が、後回しか 放置されていないか? ルーチンワークであるにもかかわらず、滞っていないか?


とりあえずは、このくらいでしょうか。他にも色々とありますが、きっかけとしてはこの2点を見ておくのがいいと考えております。

「病院に行っても、どうせよくならないよ」

ところで、さらにやっかいなことがあります。
うつ病患者のなかには、「どうせよくならないよ」といって病院に行こうとしない人がいます。これもうつ病の症状のひとつなのです。
この見解(患者が病院に行こうとしない)は医師も言っていることです。以下は私見ですがご参考までに。

初期のうつ病の人に「心療内科に行け」とか言っても「どうせ何もかわらないよ」と言って、行こうとしない。本当は、病院に行ったら「よくなる」か「わるくなる」のどちらかで、現状維持というのはありえない。病院に行ったら「よくなる」のがふつうだし、病気なんだから放置していると悪化することもある。放置してたらよくなった、ということもありえる。うつ病だと、かかる医者によってはハズレがあって、「悪くなる」こともある。現状のまま変化なし、というのは、どのような状況でもありえない。なのに「どうせ何もかわらないよ」という。仕事の内容が変わらないからだ、というのかもしれないけど、それは違う。うつ病なので「変わらない」と思い込むのだ。仕事が、状況が、うつ病にさせたのかもしれないけど、仕事や状況は自分の力である程度変えていけるもので、変わらないわけがない。それを変えられないのは、自分の認識に問題があるからではないか。そうこうしているうちにどんどん悪化していって、寝たきりになる。

http://d.hatena.ne.jp/yachimon/20110506/1304659258

「ひょっとしてこの人はうつ病ではないかな?」と思って「病院にでも行ってみれば?」とすすめてみると「どうせなにもかわらないよー」と返答してきたら、さらに注意が必要ではないかと思います。(「どうせなにもかわらないよ」の裏には「体調が悪いのはわかってる」という暗黙の了解が存在しています。体調が悪いなら対処が必要なのではないですか?)

うつ病かな?と思ったら

ベックのうつ病調査表をやってみましょう。
http://www.ohhori.com/depression/bdi_check.htm
質問項目に従い、最近 2、3 日の気分をこたえます。中程度のうつ状態が 2 週間以上継続している場合、病院へ行ってください。

軽度の場合は「認知療法」を試してみるのもいいかもしれません。実は以下の本を読むだけでも「認知療法」になったりします。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

認知療法」では、人をうつ病へと導く「認知の歪み」を患者本人に認識させ、改善するように働きかけます。
この点をもって「認知療法」を批判する人もいます。「認知を変える」とは、ものの捉え方、ひいてはものの考え方をも変えることです。それを「洗脳」と呼んで批判しているのです。
たしかに、その人なりのものの考え方というのは、貴重なものです。大切なものです。そう易々と変えていいものではないと、私も思います。しかし、うつ病患者のそれは、患者自身を不幸にする…最悪の場合、死へといざなうものです。人を死へと追いやる"考え方"なら、それは改めたほうがいいと思うのですが、いかがでしょうか。

以下に、この本に載っている「認知の歪み」をまとめておきます。

認知の歪みの定義 (表3-1から。矢印→以降は、本文などを元にした補足)


1. 全か無か思考:ものごとを白か黒かのどちらかで考える思考法。少しでもミスがあれば、完全な失敗と考えてしまう → 二分思考法

2. 一般化のしすぎ:たった1つの良くない出来事があると、世の中すべてこれだ、と考える

3. 心のフィルター:たった1つの良くないことにこだわって、そればかりくよくよ考え、現実を見る目が暗くなってしまう。ちょうどたった1滴のインクがコップ全体の水を黒くしてしまうように → 選択的抽象化。ポジティブなことを見えなくする。

4. マイナス化思考:なぜか良い出来事を無視してしまうので、日々の生活がすべてマイナスのものになってしまう → 単に良い出来事を無視するだけでなく、正反対の悪いことに変えてしまう。

5. 結論の飛躍:根拠もないのに悲観的な結論を出してしまう

     a. 心の読みすぎ:ある人があなたに悪く反応したと早合点してしまう

     b. 先読みの誤り:事態は確実に悪くなる、と決めつける

6. 拡大解釈(破滅化)と過小評価:自分の失敗を過大に考え、長所を過小評価する。逆に他人の成功を過大に評価し、他人の欠点を見逃す。双眼鏡のトリックとも言う

7. 感情的決めつけ:自分の憂うつな感情は現実をリアルに反映している、と考える。「こう感じるんだから、それは本当のことだ」 → 「もう何の希望もないように感じる。だから私の今の問題はまったく解決不能だ。」 → 感情的決め付けの副産物は「決断の引き伸ばし」。「とてもこんな汚い机を片付ける気分にはなれない。だから整理することはもう不可能なんだ。」現実には、すぐに完了するような、そんなに難しい仕事ではないのに、いつまでたっても実行することができない。

8. すべき思考:何かやろうとする時に「~すべき」「~すべきでない」と考える。あたかもそうしないと罰でも受けるかのように感じ、罪の意識をもちやすい。他人にこれを向けると、怒りや葛藤を感じる → 自分へ:自己嫌悪、恥・罪の意識 他人へ→ 怒り・葛藤

9. レッテル貼り:極端な形の「一般化のしすぎ」である。ミスを犯した時に、どうミスを犯したのかを考える代わりに自分にレッテルを貼ってしまう。「自分は落伍者だ」

他人が自分の神経を逆なでした時には「あのろくでなし!」というふうに相手にレッテルを貼ってしまう。そのレッテルは感情的で偏見に満ちている

10. 個人化:何か良くないことが起こった時、自分に責任がないような場合にも自分のせいにしてしまう

http://d.hatena.ne.jp/yachimon+book/20100626#1277529310