うつ病についての記録

うつ病患者が私見を述べます。色々間違うかもです。参考にしていただけると幸いです。

回復は匍匐前進(ほふくぜんしん)のように

 うつ病(に限った話でもないですが)、回復はほんとうにゆっくりとしたものだと思います。なかなかよくなりません。よくなった、回復した!さあ復職だ!と思っても、治療を根気強く続けないといけません。焦りがあると、治っていないのに復職して、また悪くなって休職して…を繰り返します。
 私はうつ病で休職してずっと埼玉の自宅で静養していたのですが、やがて動けなくなりました。心配した母親が九州から上京してくれて、3週間ほど面倒をみてくれました。おかげで動けるようになったのですが、少しでも調子を崩すとすぐにまた動けなくなりました。一人暮らしでの静養は無理だと判断して、実家での静養に切り替えました。
 実家静養に切り替えたおかげで食事の心配がなくなり、2日おきに2時間ほどだけではありますが本を読む余裕ができ、市民プールで歩行訓練するような余裕もできました。
 それでもやはりゆっくりとしか回復せず、結局9ヶ月間ほど実家のお世話になりました。
 その実家静養の間に我が家の菩提寺で聞いた法話が療養生活の支えとなりました。その法話が本になっているので引用します。

動かないはずの左手が動いた日


<略>
 若いときに生き死にをかけて患った腎臓病の影響ですかね。血圧は常に上は二百五十、下は百越え、血糖値は五百の状態でありながら、下町まで買い物に出かけ、帰りは長い上り坂を両手に荷物を抱え、百三十段もある石段を上って帰って来ます。
「ばあちゃん、タクシーを使ったらどうね。きつかろうもん」
「あのね。お寺は大変なんだよ。お父さんに十円でも、百円でも残してあげないとね」
 そうした中、ばあ様が六十一歳のとき、冷蔵庫の前で突然倒れました。すぐ病院に運びましたが、ドクターの診断は脳内出血、おそらく一生左半身は麻痺したままと言われました。
 ところが、十三ヶ月の入院ののちに退院したばあ様、帰って来た次の日から本堂内でお百度参りを始めたんですよ。お百度といっても立って歩くわけではありません。動かすことのできる右半身を使って、一周一時間をかけて這ってまわるんです。
 私は時折ばあ様の後ろについて声をかけていたんですが、ばあ様の口をついて出てくる言葉はいつも同じでした。
「ありがとうございます。もったいのうございます」
 お百度を始めて三ヶ月、六ヶ月、一年となんの不平不満も言わずに、ただ淡々と勤めていましたね。
 月日が流れるにつれて、絶対に動かんと言われた体が、徐々にですが、はいはいができるようになり、ぶかっこうだけど歩けるようになり、ゼロだった握力も5まで回復してきました。ドクターはただただ驚くばかりでしたね。
 しかしそんなばあ様の回復を見て、檀家さんたちは口々に言っていました。
「さすが、お寺のお母さん。仏さんのご加護はすごいですね」
 私は正直この言葉には立腹していました。まあ十歳の子供であったこともありますがね。たしかに仏さんのご加護がなかったとは言いません。しかしね。「あなたたちは手や足を引きずって、血だらけになってお百度をしたばあ様の姿を見ていないでしょう」と言ってやりたかったですよ。その当時はですよ。
 人生を悲観して布団の上でふて寝していたら、動ける体にはなっとらんですよね。ばあ様がお百度をしていたのは、誰も参拝しない夜になってからだから、檀家さんたちが知らなかったのは無理もないですけど。
 なんでもかんでも仏さんに頼めば、よくなるってもんでもないですよね。祈願をお受けする坊主が、言っちゃいけない言葉ですかな。
「這えば立て、立てば歩めの親心」という言葉があります。しかし、どれだけ気がはやっても、赤ちゃんの立ち上がる努力を、親は黙って見ておかねばなりません。
 なのに一部の親は、五歳の子供にアメ玉やって育てるように、三十歳になった我が子にもアメ玉を与える親がおるようですね。そしてあげくのはてにお寺に来て、我が子の愚痴をこぼされておりますわ。いやいや、「おぎゃ」と生まれて明日三十歳になる子供はおらんですからね。誰がそう育てたのという話ですな。


 お釈迦さんはおっしゃいました。
「人は生まれを問うことならず、育ちを問いなさい」
 ばあ様の生きざまが私達に与えた影響は非常に大きいものがあります。
 その後も左半身不自由のまま、八十二歳での一完まで、自分にできる仕事だけを黙々とこなしてこの世を去っていきました。いや、じい様に連れて行かれました。この、連れて行かれた話は後ほど。笑いまっせ。
 私も、ばあ様に恥じない人生を勤めないとね。


<山本英照「重いけど生きられる 小さなお寺の法話集」イースト・プレス 2012年3月20日第1刷発行 16-19p.>
※強調はブログ主による

重いけど生きられる ~小さなお寺の法話集~

重いけど生きられる ~小さなお寺の法話集~

 私は、治療がつらくなったら、この話を思い出すことにしています。そして、堂内を這ってまわるように、少しずつ少しずつ進む自分をイメージしています。
 体調を崩して、仕事や私生活がうまくいかないときも同じように、匍匐前進(ほふくぜんしん)をイメージして、ひとつひとつゆっくりと作業をすすめていくことにしております。発症前のように、勢いだけ、長時間残業だけで、仕事を処理することはもうできません。できないことを悔やんでいてもはじまりません。ゆっくりとでもいいから、できることをやっていくしかありません。

信仰について

 法話を引用したので、信仰についても書いておきたいと思います。凡夫の私が、誤解のないように言葉で説明するのはなかなか難しいのですが書いてみます。

 信仰というのは、神仏を敬い、神仏の教えを守り、神仏の願うような生き方をすることなのだと思います。
 つらいとき、苦しいとき、すべてを放り出して逃げ出したくなります。神仏の教えというのは、そんなときに重石のように効いてきて、ちょっと待てよ、とストップをかけてくれます。
 そして信仰は、治療なりリハビリなりを続ける力をくれます。あたかも金剛杖のように、支えてくれます。
 神仏が自分の病を直接癒してくれたり、かわりにリハビリをしてくれるわけがありません。なので、病や傷を治そう、少しでもよくしようと努力するのは自分自身です。
 もう少し詳しく書きますと、神仏に病気平癒・健康祈願をしたなら、例えば暴飲暴食をして病の種を自分で作り出すことはできません。治療・リハビリを怠けることはできません。怠けたら神仏に対して嘘をつくことになります。日々の勤行でそのことを思い出します。病気が治ったら御礼報謝です。支えていただいたことに感謝します。
 まとめます。歩くのは自分です。支えてくださるのが神仏で、これが「ご加護」です。結果がでればこれが「ご利益」ですが、必ずしも自分の思ったとおりの結果にはなりません。神仏の思う結果になります。
 自分の願いとは違う結果なのですが、後々なぜか自分が願ったのよりもよい展開になったりします。なんでですかね。

本について、補足と注意事項

 上で取り上げた本を書かれたご住職のお寺のホームページができております。
 http://www13.plala.or.jp/kongouji/
 毎月更新の法話ものせています。バックナンバーも読めます。
 http://www13.plala.or.jp/kongouji/houwa.html

追記

本の続編が出版されております。

あなたがいるから生きられる 小さなお寺の法話集

あなたがいるから生きられる 小さなお寺の法話集

twitterではミニ法話が読めます。


法話について

 このホームページの法話を読んでおりますと、大阪市長の橋下さんをほめているような記述があります。これは「時代を見て法を説け」という、このお寺の第一世住職の教えを守り、言っているにすぎません。つまり、その時代時代の人が受け入れやすいように、時代にあわせて仏法を説け、ということです。ここの住職が橋下さんをほめているから、私は橋下さんを応援しよう!などと考えてはいけません。このように法話というのは一筋縄ではいきません。表面的に字面を追っているだけでは真意を理解できません。読んだあと、自分で色々と考えなければいけません。上で取り上げた本の法話でも同じです。

宗派について

 宗派は真言宗新宗教中山身語正宗となります。調べていただければわかりますが、この中山身語正宗の別の教会がある事件をおこしております。見えた聞こえたが好きな人が多くいる宗団であることは否定できません。しかし、宗祖も本山も、見えた聞こえたの信仰はだめだよ、といっておられます。著者の山本住職も、宗のなかにあって、そういった信仰を批判し、変えていこうとしておられます。この本の中でも「ご先祖を悪霊呼ばわりするな」と批判しています。全国の拝み屋さんからうらまれるかな、と言いながら。

カルト宗教について

 もし「お参りしなかったら祟られるぞ!」なんていうことを言う人がいたら、その人とは距離をおいたほうがよいと思います。脅してはじめるのは信仰とは言えないでしょう。それに「組織からの離脱について極度の恐怖心を与える」のはカルトの特徴のひとつです。宗教家の話をきくときの指針のひとつにしていただければいいと思います。「この人は、人の恐怖心を利用しようとしていないか」と。
 宗教団体への加入も脱退も、自由なものでなければなりません。信仰を持つ・持たないも、自由なのです。